桜のいのち 私のいのち

今年の桜も、そろそろ見納めの時期を迎えようとしています。
先日、お檀家さんの葬儀を執り行いました。
一〇三歳というご長寿での大往生でいらっしゃいました。
私自身も、子どもの頃からよく存じ上げており、お世話になった方とのお別れはやはり寂しいものです。

火葬場へ向かう道中、鴨川沿いから蹴上周辺は、ちょうど桜が満開を迎えておりました。
春の穏やかな陽ざしの中、まるで故人さまとご一緒に最後のお花見をさせていただいたような、そんな気持ちでした。

黒塗りの霊柩車と、やわらかな桜の薄紅色。
車窓からは、笑顔でお花見を楽しむ人々の様子が見えます。
その光景の中を進みながら、胸の奥に静かな寂しさと、どこか温かな思いを抱いておりました。
まるで映画のワンシーンのようでもあり、まっすぐに続く桜並木の道は、長い人生を歩まれた故人さまにふさわしい「花道」のようにも感じられました。

桜は、日本人にとって特別な花です。春になると、町のいたる所に桜の木が植えられていることに気づかされます。
また、古来よりその美しさだけではなく、限られた時間の中で咲き散ってゆくその姿に、命の儚さや尊さを重ねてもいます。

わずかな間だからこそ、なおさら輝いて見える。
それは、私たち一人ひとりの命も同じです。
限られた時間の中で、いただいた命をどのように生きるのか――。

美しいの桜を目にしながら、桜をめでることのできる命をいただいている私。
「今、自分はどう生きているのか」
「何を大切にしているのか」
そんなことを、故人さまへの感謝とともに、静かに考えるひとときとなりました。