供養することで 力をいただく

 マスクをつけずに過ごす時間が増えてきました。思い返すと感染拡大が始まった頃は、世の中が不安でいっぱいでした。
 コロナ感染症によって亡くなると、感染拡大を防ぐために遺族が立ち会うこともなく荼毘にふされ、死に顏を見ることさえできない、ということがありました。見舞いにも行けず、遺骨となって帰宅 …。志村けんさんなど著名人が亡くなった時にその様子が報じられましたが、日本だけでなく、世界各地で同じようなことが起こっていました。
 先日、新聞記事で 「あいまいな喪失」という言葉を知りました。災害などで行方不明になり、その人が本当に失われたかどうかはっきりしないまま、その死を受け入れる必要がある場合、悲しみや喪失感が長引き、複雑になることがあるといいます。先ほどのコロナ禍における死別も、心理的には「あいまいな喪失」の一例にあたります。
 記事の中で、コロナにより父親を失った娘さんが「感染防止のために通夜や葬儀ができなかった。棺を開けて父の顏をみることもかなわなかった。一周忌の法要の際に不思議と涙が流れた。『心がすっと着地したような感覚。信心深い方ではないけれど、儀式って必要なんだなって』―」とその気持ちを語っていました。  
 「あいまいな喪失」に限らず、私たちは、葬儀などを通して、大切な人との別れをすこしずつ受け入れていくのだと感じています。実際に遺族のそのような様子に接し、強く思うことです。葬儀や法事は、亡き人の供養のために行うのですが、同時に私たちにとって心の癒しとなり、喪失感や悲しみをやわらげる手助けとなります。
 今年は、ようやく人が集えるお盆となりそうです。ご先祖さまの供養、お盆という伝統行事を営むことで、私たちも力をいただくことができます。
 どうぞ、ご家族皆さんでご先祖さまや亡き方をお迎えいただき、おだやかなお盆をお過ごしください。

令和5年7月発行「おてらだより」より