「ちがいを認める」(人権週間に寄せて)

 世界人権デーは、12月10日に国連総会で「世界人権宣言」が採択されたことを記念して定められた日です。
 毎年、人権デーを最終日とする1週間(12月4日から12月10日)を「人権週間」と定めています。私は令和2年から、人権擁護委員を委嘱され活動しています。

先日、亀岡小学校で「人権の花運動」を行い、人権教室で「黒いぼうし」というオリジナルの寸劇を、委員の仲間と一緒に演じてきました。
 この寸劇のメインメッセージは、「誰もが大切にされる存在であること」「自分自身に誇りと自信を持つこと」です。

 そして最後に、金子みすゞさんの詩「みんな違ってみんないい」でまとめ、小学生たちに大きな拍手をもらうことができました。子どもたちに何か一つでもメッセージが届いていたらいいなと思っています。

 


「みんな違ってみんないい」

『私と小鳥と鈴と』

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

金子みすゞ 「私と小鳥と鈴と」

金子みすゞさんの詩「みんな違ってみんないい」は、すべての命がそれぞれに価値を持ち、違うからこそこの世界が豊かで美しいことを教えてくれます。
けれども、私たちはその「違い」を常に素直に受け入れられているでしょうか?

むしろ、違いに対する不安や戸惑いから距離を置いてしまうこともあると思います。

もちろん「違いを尊重する」ということは、自分自身のわがままや勝手な振る舞いを正当化することではありません。互いを理解し合い、調和を保つ姿勢が求められます。


知らないことへの恐れと克服

私たちは、自分と異なるものや未知のものに対して「怖い」と感じる本能を持っています。それは自然なことで、命を守るために備わった感情です。

しかし、この「怖さ」が過剰になると、時に差別や偏見の原因となることがあります。

「怖い」と感じたとき、その感情をそのままにするのではなく、冷静にその原因を知る努力が大切です。


「怖い」と「リスク」を区別する

感情としての「怖さ」は主観的ですが、「リスク」は客観的な事実に基づくものです。この二つを区別できるといいのですが、なかなか難しいものです。

コロナ禍を振り返ってみても、今思うと「未知の病」に対して、過剰な反応があったことは認めざるえません。実際に感染者に対する差別的な言動もありました。

たとえば、初めて飛行機に乗るときに「墜落するかもしれない」と感じる「怖さ」は自然な反応ですが、実際の飛行機事故の確率は非常に低く、安全性は統計的に証明されています。このように、「怖さ」と「リスク」を区別することで、冷静に判断し、適切に行動することが可能になります。


仏教の教え:正見と智慧

仏教では「正見(しょうけん)」という教えがあります。八正道の一つです。これは、「正しく物事を見る」という意味です。感情に流されず、事実を冷静に見つめること。それが「正見」の教えです。

また、「智慧」は単なる知識ではなく、物事の本質を理解し、適切に行動する力を指します。

私たちは感情に左右されるのではなく、「智慧」をもって物事を判断し、行動することが求められます。


違いが生む美しさ

 桜の木を思い浮かべてください。

 一つひとつの花びらは形も色も違います。しかし、それらが調和して咲いているからこそ、私たちはその美しさに感動するのです。

 人間社会も同じです。違いがあるからこそ、社会は豊かになり、人生が彩りに満ちるのだと思います。


誰もが大切にされる存在である

「みんな違ってみんないい」という言葉は、自分らしさを大切にすることと同時に、他者を尊重することを意味しています。わがままや自己中心的な振る舞いを肯定するものではありません。
 互いを認め合い、共に調和することが、この言葉に込められていると感じています。

 違いに「共感」「納得」することできなくても、相手をわかろうとする姿勢があれば、その違いを「理解」することはできるのではないかと思います。

 互いの違いを尊重し合い、誰もが大切にされる。 そして、自分自身もまた、他者にとっての豊かさの一部です。

 それぞれの「違い」を慈しむ日々をお過ごしください。     合掌