釈尊涅槃図(昌寿院 寺宝)
お釈迦様の涅槃の様子が描かれている「涅槃図」。お釈迦様のこの世での最期の姿が描かれています。
息を引き取られたお釈迦様を囲むようにして悲嘆にくれる弟子たちの姿。諸菩薩や王、そして聖獣、動物や虫など、生きとし生けるものがお釈迦様の死を惜しみ悲しんでいます。
→→ 昌寿院の涅槃図に描かれている内容
天和3年(1683年) 明治38年に修復
昌寿院の涅槃図が収めてある木箱には「天和三年」と書いてあります。西暦にすると1683年です。
涅槃図の裏には明治38年(1905年)に修復をした記録が書き記されています。
当時の日本は、日露戦争(1902年2月~1905年9月)の真っただ中にありました。
他の檀家の八木竹次郎氏が発起人となり、有志を募り修復をすすめていましたが、竹次郎氏が出征することになり、兄にそれを託したとのことです。
檀家をはじめ、観音講や三宅町の人々の名前が記されています。
昌寿院 涅槃図 裏書内容
惟に涅槃像たるや和参年 時の有志者 之を新調せし以来既に参百有餘年の背星霜を経?軸 大破し之が永遠に保持し能はざるを憂いた他檀はハ木竹次郎氏自ら奮って発企者となり有志金を幕集し職工に命じ修繕に着手せしむ
然るに氏は國民軍籍に有りし以て俄然應召ノ下命に接せらる 氏 是を告白
君命により今より任地に至る 然るに日露の会戦は世界未曾有の大戦闘にして戦途尚遼遠なれば 兄 我に代て修繕せしめられたしと 是 速に諾し漸にして成功せしむ
時に明治参拾八年弐月拾四日なりき 於茲 同月拾八日を期し 長興寺住職三谷光天師 住職浦田道悟師 其他有志者及び観音講者と共に還佛の式を挙ぐ 依て為紀念書之
明治参拾八年参月拾九日 松本猪三郎 識書